自転車雑感記 琵琶イチ(Bコース) ~片山和朗~

2010.12.23

朝の6時過ぎに集合場所の無料駐車場へ行くと車が続々と集まって来る。 すでに自転車を組み終えて走っている人達も居る。 昇る朝日に染め上げられたサイクルウエアが色鮮やかだ。
琵琶湖にさしかかる空はどこまでも青く対岸にかかる雲は美しい。 私は自転車で走る為に此処へ来た。 前方に広がる空、きらめく琵琶湖、それだけで何とも形容し難い高揚感に襲われる。
老いることの恐怖、年を取ることへの不安などクソクラエだ。 しかし琵琶湖一週初体験、何でも初めての経験は緊張して呼吸が浅くなっている。 足も地に着いてない感じがする。
それでもサドルにまたがり、片方の足をクリートにカチッと入れると、もう後に戻れない。

周りの人から初心者の私にアドバイスや激励を受ける。 何と自転車乗りは心の豊かな人達ばかりであろうか。 そうこうしている内に何となくスタートした。 何しろ琵琶湖一週なので号砲一発先を争ってと云う訳でもないらしい。 琵琶湖大橋を越える頃には、頼りにしていたほとんどの人達は周りに居らなくなってしまった。 何と自転車乗りは心の冷たい人達ばかりであろうか。

R161号に入り北上するがどうもいつもの調子じゃない、ハンガーノックの様な状態だ。
考えてみると昨夜の夕食は焼き鳥、焼き魚、たんぱく質が主で米飯はほとんど食べていなかった。
朝食もコンビ二のお握りを食べただけで、まだ消化してエネルギー化していないのだ。
そこで急きょ、走りながら持参の補給食の干しブドウを食べる。 奥歯でジワーと噛み締めると凝縮した甘味が口中から全身に流れ、即エネルギーに転化する。 ペダルを回す足に力が戻って来た。

今回私は補給食に干しブドウを選んだのは二つの理由が有る。
その一つ目として、本日のコースは右回りで160キロ、7時頃スタートで4時頃にはスタート地点に戻らなくてはならないので、制限時速9時間として時速18キロ以上で走らなければならない事になる。 18キロと云うと日頃私が走っているスピードである。 これは大変だ、コンビ二に寄って食事を取っている間もない。 160キロをノンストップで走らなければならない、と云う訳でサイクリング途中の補給食は干しブドウと決めていたのだ。 昔、登山の本を読んでいて遭難した時の為に、リュックの底に干しブドウを忍ばせておけば良いと書いてあったからだ。
今までにも食事が取れない場所に行く時はいつもポケットの中に干しブドウを忍ばせて行ったものだ。 その結果、食事も取れてかえって太って帰ってきたりした程の高エネルギー食品である。

二つ目の理由として、それはエネルギー摂取後の滓が少ないからだ。 自転車に乗っていてハンガーノックを心配するあまり、物を食べ過ぎるとその処理の心配をしなければならない。
サイクル雑誌などには補給食の事は特集していても、補給後の処理の事を書いている雑誌にお目にかかった事がない。 実際サイクル雑誌にその解説はないが、その処理をするにはピンディングシューズでコンビ二の床を滑らない様に歩いて密室にこもらなければならない。 そして窮屈で着脱し難いサイクルパンツを脱いでお尻を出すのである。 一度コンビ二のトイレでバランスを崩し便器の中に手を突っ込んだ事があった。 水を流す前だったらどうするのだ。
だいたい私はサイクル雑誌を余り信用していない。 ロードバイクに乗り始めた頃、クランクペダルは筋肉で回さないで骨で回す、と書いてあったので毎食メザシを食べたがダメであった。
ロードバイクで走るにはジャムパンや蜂蜜やバスタをモリモリと食べよ、と書いてあったのでその通りにすると、たちまちの内に3キロ太っただけであった。
一度サイクル雑誌に着脱しやすいサイクルパンツの特集とかエネルギー滓の少ない食品ベストテンとかの特集を組んでほしいものだ。

少し話は横道にそれるが昔の日本では野糞の文化と云うのがあった。 昔と云っても縄文や万葉の時代のことでは無い、ごく近い昔だ。 私たちも子供の頃、学校の行き帰り道端で行ったものだ。
しかし此処は琵琶湖だ、湖のほとりでそんな事をしたら放り出されるだろう。
22年の5月、協会ランで滋賀県の虎姫から能登川まで走ったことがあった。 昼食を食べた時、滋賀の協会の人が、以前は湖岸を走るとよくパンクしたものだが、協会員が道路の清掃活動をした結果、余りパンクしなくなった、と云っていた。 実際のところ琵琶湖湖岸はきれいに清掃されていて汚す訳にはいかない。 私なりに琵琶湖を汚さないと云う方針の元、補給と処理の問題を決めていたのだ。 結果的にコンビ二や食堂に寄っても時間が掛からなくて済む。 済むと云うことはトイレの時間も省略できると云う事だ。 小の方もほとんど汗として流れるので行かなくて済むだろう、なんなら走りながら済ましても良い。 もっともトライアスロンの選手は女性もそうしているそうである。  沿道で口を開けて応援している人は飛沫を浴びているのかも知れない。

このように補給と処理の問題は計算上うまく行ったが、後は自分の意志と体力である、と云いたいが意志は軟弱、体力の方はCTJの淡路島も同行のFさんと最後尾争いをした程である。
しかし走れるところでは疲れない程度にスピードアップを心掛ける。やっと28キロ平均になってきた。  車輪の音が心地良い。
ここで調子に乗って走りながら水を飲むが走りながらでは空気ばかり入ってうまく飲めない。
誰も見ていないのだが飲んだ振りをして走る。  今度むこうから車がきたらスマートに飲んでいる振りをしてやろう。  以前ロードバイクで走っていて信号で止まった時、横にあるコンビ二のドアに写る自分の姿に見取れていたら、後ろから怒鳴り声が飛んできた。 すでに青信号に変わっていたのだ。 ここではそんな失敗はしないぞと自分に言い聞かせる。

三つ目の給水ポイントのローソン今津北浜店に到着、先に到着した人は補給しながら自転車談義に花を咲かしている。  私はと云えばヨロヨロと喜多サイクルの車に駆け寄りバナナを貰い、アシストの車からコーラを貰ってヨタヨタと建物の影へと座り込む。 ここでアシストカーから暑さの為、全員激坂の展望台越えをせず岩熊トンネルを抜ける様に指示が出た。
私は元々トンネルを抜けるコースを選んでいたが、なかには展望台へいけないので本気で残念がっている人もいた。
それでも意を決して人が休んでいる間に少しでも先に進もうと、早い目に出発したつもりであったが、ものの10分も経たない内にほとんどの人に追い越されてしまった。
停まらなければいつか着くと思ってひたすら走っていると、いつの間にか梅津大崎へ来ていた。
ここは前に一度来たことがある、桜のシーズンだった。 ちょっと贅沢をして舟の上から湖岸の桜見物をした。 桜吹雪を浴びながら自転車で走っている人がいた。 映画のシーンの様でありうらやましく感じた。 私もいつか桜吹雪の中を走ってやろうと考える。 きっと絵になるだろうな、
まったく自転車に乗っているとヒマだから余計な事を考えてしまうものだ。

以前の事になるがなんでもない秋の夕暮時、自転車で散歩に出かけた事があった。 加茂から木津へと抜ける路だったと思う。 そこには日本の原風景とも云うべき崩れかけた土蔵、刈り取られた田園が続き、その里山の向こうには鰯雲が広がっていた。
その風景の見事さに溜息をつきながら立ち止まっていたことがある。 後日、妻にその感動を伝え車でその場所を見に行くと、何や汚いだけの家や、と云われて車内で妻とつまみあいのケンカになったことがあった。 この様に自動車は乗り手を感情的にし、自転車は乗り手を情感的に変える。
まことに自転車は人の気持ちまで変えてしまう不思議な乗り物である。

R303号を左側に進み岩熊トンネルに入る、岩熊トンネルはスタート前に貰った地図に書いてあった通り側道が広くて走りやすい。その岩熊トンネルを抜けレストラン水の駅に到着、私は冷やしウドンで昼食、美味い、やはり干しブドウだけでは駄目だった。 若い人は豪華海鮮丼をうまそうにパクツイテいる、やはり余裕だな。
その後、旧道を少し通り長浜バイオ大学前の補給ポイントに向かう。 そこで水分を補給した後は延々と琵琶湖東岸の湖岸道路を南下する。 ここは相当ヒマだ、景色は変わらず太陽も動かず、やる事と云えばペダルを回すだけだ。 いくらペダルを回しても景色が変わらないのでローラーの上で走っている様なものだ。 感覚もマヒして走っているのか止まっているのか一向に分からない。
覚えているのは暑さだけで長浜市、米原市、彦根市と通過しているはずであるが途中の彦根城も視界に入らなかった様だ。 最後の給水ポイントも早い目に出てゴールを目指すが、相変わらず篭の中で鼠が同じところを走っている様な錯覚に囚われる、このまま熱中症で倒れてしまうのだろうか。 そんな気分から開放してくれたのは、小口径の折りたたみバイクに追い抜かれたのを皮切りにクロスバイクの人にも突如として追い抜かれた。 しかし追い抜かれた人を目標にして走った方が走りやすい。 俄然、体に力が戻ってきた。 ギヤをアウターに入れて加速する。

その後、ゴールまで僅かの所でシャワーの様な雨に遭う。 火照った体には恵みの雨だ。 しかし恵みを与えてくれたのは雨だけではない。 ウクレレの旋律にも似た琵琶湖を吹き渡ってくる風、刻々と変化する湖面の輝き、振り向けば覆いかぶさる様な比叡の山々、それらの風景のひとつひとつが訳もなく駆け回っていた少年の昔に帰してくれた。 それにも増して同時刻、琵琶湖を駆け回っていた協会員の存在が私をゴールまで引っ張ってくれた。
とても独りでは走れなかった。 感謝しています。 またいつか遠い日の自分に会う為に琵琶湖に来よう。

片山和朗 記