11月協会ラン 「紅葉を探しに」の報告

2014.11.15

催行日:2014年11月8日(土)
集合:平城宮跡 09:00
参加人員 :22名(NCA会員:18名 一般4名)

【レポート 】報告 : NCA  片山 和朗

秋、自転車には最高の季節である。 平城宮跡に総勢22名の自転車兄ちゃんと自転車おじさん、自転車じいさんが集まった。 既に40キロも走って来た人もいる程だ。
目指すは「日本の心のふるさと」と紹介されている明日香である。 簡単なコース説明と挨拶の後、何が日本の心か良く分からないまま出発、まずは秋篠川沿いに奈良自転車道を南下する。

前方右手に唐招提寺を望むあたりから、東西に走る一般道と交差している所が数ヶ所あり、ここにはカーブミラーしか設置してなく快適なペタリング音を聞きながらすっ飛ばすには要注意だ。 程なく大和郡山市に突入する。
ここら辺りで佐保川と合流する秋篠川に別れを告げて城下町の風情を残す綿町、魚町、豆腐町を走り自転車おじさん達はR108に入る。 目の前にJR関西線と立体交差している高架橋が行く手をさえぎっているが心配しないで進んで行くと勝手に下をくぐるトンネルに案内される。 トンネルの底の部分にはいつもドロ水がたまっていて背中にドロを跳ね上げてしまうので急なスピードで下るのはご用心ご用心。

R108は日頃、自動車も良く走っているが休日は自動車も少なく、安全だと思っていたが、本日は何故か中型自動車も多く気をつけて走る事にする。
西名阪の手前で一旦右折れして名阪高速をくぐり住宅街を道なりに走り抜けると突然広いところに出る。
大和川に架かる板屋ヶ橋に向かう川沿いの道だ。 遠くに見える信貴、葛城山から吹いてくる風がこの辺りの空気を入れ替えている。 空が高い、広い、走るだけ、単純だけれども隔絶したこの世界、自転車はまこと素晴らしい。(中略)と云う訳でどん突きを右折れしてコンビニで休憩、ここまでスタートしてから一時間半程度。

休息後そのまま東へと向かうと曾我川と飛鳥川が並行して流れている手前で、ならクルの案内板C―8の矢印←に従って左折れすれば唐院を経て大和中央自転車道に入れるので間違わない。 コの字型に近鉄大阪線を越えると田園地帯が拡がり秋の風が吹いていて刻一刻と時をきざむ。
聞こえてくるのはペダルの音のみ、会話するのに言葉は要らない。

その後、今井町の伝統的町並保存地域でトイレ休憩、体をスッキリさせてお定まりの情報交換が始まる。おじさん達はこれには自慢話も含んでいるので言葉が必要なようだ。

この後、飛鳥葛城自転車道を通って明日香を目指すが、昼ごはんを食べに行くには少し早すぎると判断して、コスモスが一面に乱れ咲く藤原宮跡の真ん中を通過するコースを選んだ、この道を選ぶと時に埋もれた様な集落や、迷路に迷い込んだり、歴史から忘れられたような天岩戸神社を通ることが出来る。

再び飛鳥川に戻り川沿いの道を南下して石舞台に向かう。途中、奈良の風物詩の柿の木がすっかり黄落していた。 命が沈静する冬のはざまでその準備をしているのだろう。
その後、明日香地区、見晴らしの丘で飛鳥川から石舞台直行組と合流し奥明日香へ向う。 収穫の秋を終えた棚田の案山子に迎えられ奥明日香栢森に入る。

田が開かれ川が流れている。 おじさん達は日本の原風景と云うべき里山の景色の中に溶け込んで行く、やがて目的のさららに到着、さららは飛鳥川にそそぎ込む小さな支流近くにたたずんでいる古民家の一軒だ。耳を澄ませばせせらぎの音が聞こえてくるようだ。
右手に行けばサイクルクライマー垂涎の芋峠。ここでは地元産の和食を味わい体か癒される。中でもおかわり自由の古代黒米ゴハンは体に優しく、お腹に溜まらず此処まで41キロ走った体にエネルギーを充填してくれる。 (個人の感想であり効果を保障するものではありません)

パワーがみなぎったところでいよいよ紅葉をもとめて多武峰R155へ向う。
その昔、なさぬ仲の男と女が添遂げる為、九十九折りの道を多武峰に向かったと伝えられているその道を今はおじさん達が駆け登る。
峠を目指すというのはある意味、此岸と彼岸に似ている、残り少ない人生何故こんな苦しい事に取り組んでしまったのかと云う後悔(苦悩)、峠を征服する充実感(歓喜)やがてふもとから舞い上がってくる風、山あいに架かる気都和既橋から見える明日香の里の風景も素晴らしい。

ここから山あいにひっそり息づく明日香の里が展望できる。 すべてが遠い季節の流れの中に霞んだように見える。(中略)と云う訳で折角、紅葉を探しに標高516メートルの多武峰に来たが、この時期、列島をかすめた台風は秋を運ぶことなく、段山神社の楓にも紅葉をもたらさなかったようだ。

それで本当は紅葉をバックに写真を撮りたかったが、仕方なく段山神社の看板のあるところで証拠写真を撮り、お茶をにごした。

その後、八井内、薬師町まで一気に駆け下る。 命を預ける自転車が一瞬平穏な日常を切り離す。 風景が後ろへ飛び風を切る。スピードへの欲望、脳内のエンドルフィンが沸き立つ。

薬師町で再び日常へと戻ったおじさん達は桜井を通過し大神神社を右に見て上つ道に入り、箸墓古墳の横を走る。
ここには今は見えない国があって南北4.5キロに、この卑弥呼の墓を始め前方後円墳など34基の大和古墳群があるところだ。
歴史の積み重ねに浪漫を感じ、古墳にコウフンする古墳ガールが多く出没していると聞いていたが方角が悪いのか、おじさん達のガラが悪いのか一人も出会わなかったので仕方なく黒塚古墳に向かう。

トイレ休息後、古代の旅人が歩んだ上つ道を昔のざわめきに想いを馳せ、丹念にたどりながら北上すると道は有機的につながり現代へと続く。
途中、天理、再び郡山を通るがエッ!これが上つ道かと思う程、普遍的な道を走ることになる。 しかし山の辺の道の‘辺’も山のあたりの道と言うことで幾通りも有る様なのでそれでよいのであろう。
終盤、格子窓の続く奈良町にある猿田彦神社の前で停車したが、ここは博打の神様であり境内の石に触れてから競輪に行くと大きく負けないはずである。
(これも保障はしません)

最後に猿沢の池の石段のところで五重の塔をバックに再度、証拠固めの写真を写し、平成ロマンの風かおり人が賑わう三条通りを自転車と人と車の共存を計り、ゆっくりと走り平城宮跡に戻りました。